和田館

所在地 三浦市初音町
築城年 平安末期
築城者 和田義盛
城主 和田氏
構造 居館
遺構
現況 宅地、畑
歴史  和田義盛が父の死をさかいに鎌倉杉本城から居館を移したのが当地 和田館。義盛は三浦義明の孫で鎌倉幕府では御家人を統率する侍所別当に任命されていた。三浦半島が三浦氏によって支配されていた当時、この地は攻められる危険がなく三浦一族の食料調達の拠点として館が構えられていたと思われる。義盛は1213年北条義時と対立して叛乱(建保の乱)を起こしたが同族の三浦義村の北条方への寝返りもあり鎌倉由比ガ浜で討ち死にした。 (参考:日本城郭大系、現地説明板)
訪問ガイド 国道134号線沿いの和田の信号から海側に抜ける道を進むと、和田義盛を祀っている白旗神社があり、さらに進むと和田館跡の石碑があり裏手には広大な畑が広がっている。和田館を囲むようにして木戸脇、唐池、出口、赤羽根、矢作などの地名が残っている。また木曽義仲の妾 巴御前が和田義盛に預けられて和田館で余生を送ったと言われている。
足跡写真 説明
和田義盛を祀っている白旗神社
白旗神社にある和田義盛碑
和田館居館址にある和田城址碑
和田館裏手には広大な畑が広がっていた。