所在地:横須賀市衣笠 |
築城年:1058-65年 |
築城者:三浦為通 |
城主:三浦氏 |
構造:山城 |
遺構:井戸・平場・堀切・土塁・物見岩 |
現況:公園・畑 |
歴史: 衣笠城は前九年の役の戦功により源頼義から三浦郷の地を与えられた三浦為通によって康平年間(1058-65年)に築かれたとされる。1180年の石橋山合戦後の衣笠城合戦では三浦義明が守兵450騎を率いて武蔵国の軍勢(河越重頼、江戸重長、畠山重忠)3千騎と戦い討ち死にし、三浦一族は安房に逃れ源頼朝と合流し、頼朝が鎌倉に政権を樹立すると三浦一族は有力御家人となり衣笠城を中心とする要塞地帯を形成。しかしながら1247年に5代執権北条時頼に三浦泰村一族は滅ぼされ、時頼に味方した佐原盛時は三浦介を継いで三浦氏の命脈を保ったが三浦半島南部への領地替え(佐原城)により衣笠城は事実上廃城となった。 (出典:日本城郭大系) |
訪問ガイド: 衣笠城は大谷戸川と深山川の渓谷を自然の堀とした山城であり、城へ至る道はいくつかの支城で防御されている。主郭部館址とされる平場および一段高い丘部に物見岩と城趾碑がある。物見岩からは教典などが隠されているのが発見されたそうである。 |
衣笠城
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滝不動
大善寺下にある衣笠城の水源となる滝不動井戸。
僧行基が杖で岩をたたいたところ、清水が湧き出したとの伝説があり、関東大震災までは道路にあふれ出ていたといわれている。 -
石碑
大善寺からの登城口にある古い城址碑。
大善寺(曹洞宗金峰山不動院)は行基が創建したとされる。 -
主郭平場
大善寺脇の階段を上るとすぐに主郭平場にたどり着ける。
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ハイキングコース看板
主郭平場にある案内板。このあたりはハイキングコースになっている。
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物見岩へのアプローチ
主郭平場から一段高いところに物見岩がある。
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城址石碑
城址石碑
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発掘現場
過去に物見岩の下から経典などが発掘された。
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小社
平場を中心として物見岩とは対角側に小高い丘があり古い社が鎮座している。
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平場から衣笠公園への虎口
平場から衣笠公園方面へ抜けられる虎口
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衣笠公園方面への古道
衣笠公園方面へ至る古道
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櫓台
搦め手側にある櫓台跡のような曲輪。社が鎮座。
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櫓台にある意味深な句
櫓台と思われる曲輪に埋蔵金を示すかのような句が飾られている。
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搦め手口
掘り切られている搦め手口とされる場所
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搦め手口からの古道
搦め手口からは堀切された古道が伸びている。