五合枡陣城

所在地 鎌倉市坂下・極楽寺
築城年 鎌倉時代
築城者 不明
城主 不明
構造 山城
遺構 平場、土塁、切岸、曲輪
現況 山林
歴史 この遺跡ではかわらけ や 卸ろし皿が発掘され、13世紀後半に築城されたと推定される。
1333年新田義貞が鎌倉に討ち入りした元弘の乱の記載がある”梅松論”では5月18日新田軍の海側を攻める大将 大館宗氏が稲瀬川で討死し、残った軍勢が霊山の頂(五合枡陣城?)に陣を張り22日まで山内、巨福呂坂、極楽寺の切通しで激戦が繰り返されたことが記載されている。
訪問ガイド 江ノ電極楽寺駅前の丘に位置し、ここに城跡があるとは思えないが登ってみると確かに土塁、曲輪、切岸等の遺構が確認できる。南北に5つの郭がひな壇状に直線的に配置されている。南側から鎌倉への侵入を防御するため尾根に沿って大土塁が配置されている。
足跡写真 説明
江ノ電極楽寺駅改札から見える小高い丘の墓地から大きな岩が目印の急坂を登る。
尾根道
縄張り図(自作)
平場6
平場9へ続く地点a
下写真は平場9側から見た地点a。土塁であることが確認できる。
平場9。この先にも尾根道が伸びているようだ。
平場9に14世紀ごろの塚があるとされるが藪で確認できなかった。
上1郭(2)と大土塁(1)
上1郭(2)と上2郭(3)間の切岸
(上2郭側から)
上3郭(4)の状況。藪で覆われている。
上3郭(4)と下一郭(5)間の切岸。明確にわかる切岸(下一郭(5)側から)
下1郭(5)
下1郭(5)の平虎口(7)方面は藪で覆われていた。