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住吉城遠景
披露山公園から見た住吉城遠景。本郭跡にマンションが際立っているが周辺を取り囲む尾根を屈平した曲輪で防備している。
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江の島との位置関係
左手に江の島が見える。稲村ケ崎から攻めてくる敵が一望できる
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住吉城航空写真
住吉城は連丘上に複数の曲輪等を配置し、街道(小坪坂)の往来を監視し鎌倉(左上方面)への侵入を防御する城であることが判る。 大手口は正覚寺、住吉社とされ、平場、井戸遺構が確認できる。
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住吉城縄張り図
げんじがやと は城主居館(第44代総理大臣幣原邸)との伝承。 ぼんばたけと呼ばれる平場は主郭跡とされ、現在マンションが建っている。 うばがやとは旧街道の小坪坂に面し、街道の往来を監視する曲輪が配置されたと考えられる。
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主郭跡
現在マンションが建っている主郭跡。通称ぼんばたけ。土塁が確認できる。航空写真ではマンション完成前の城地形が確認される
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主郭を囲む尾根
主郭を囲む尾根上は掘平されており城を防備している。
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土塁
主郭から逗子マリーナ側へ降りる道。虎口・土塁跡が確認できる。
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腰曲輪
ぼんばたけ(主郭)から海前寺・小坪寺側へは主郭の腰曲輪として機能する複数段の平場地形が見られる。
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扇山
小坪トンネル上部の扇山への登り口。扇山頂上部は人工的に彫られた平場となっている。
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住吉トンネル
住吉トンネル上部も曲輪が存在する。
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うばヶ谷への道
光明寺背後からうばヶ谷への小坪坂。小坪合戦の舞台。1180年石橋合戦への合流が遅れた和田義盛が頼朝敗戦により撤退中。杉本義茂に援軍を求め平家方畠山重忠の軍勢と一戦を交える。
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小坪坂古道
整備されてしまってわかりずらいが 地図から小坪坂の古道と思われる。
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搦め手口
搦め手口とされる中学校へ続く道
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正覚寺への階段
住吉城の大手口とされ、正覚寺階段下の海岸近くには、1232年に築かれた人工島 和賀江島がある。
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正覚寺側から城郭を望む
正覚寺側から見た城郭連丘地帯。
主郭址にはリゾートマンションが建築されたが周囲は未だ山林が残されており、遺構が残存している。
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住吉社平場
正覚寺裏山にある住吉社に登る途中、住吉社の一段下に腰曲輪のような平場が確認できる。
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住吉社への階段
一段下の平場から住吉社を望む
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住吉社
正覚寺~住吉社まで主に3つの平場地形が確認される。住吉社の平場の背後は絶壁になっており、主郭等へはトンネルでつながっていたようだ。
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説明板
住吉社に置いてあった城址説明板
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井戸
住吉社の横にある井戸遺構。今でも水が称えられている
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ゲジ穴
住吉社裏は絶壁でさらに奥への移動が困難であるが、「~詰の城より後の山へ抜穴を拵へ・・」(鎌倉公方九代記)という記述から、城郭間を抜け穴で接続していたようだ。
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ゲジ穴 その2
かつて住吉社平場からげんじがやつ(伝城主館)へ抜け穴があったとされ、ぼんばたけへ移動を可能とした。げんじがやつの抜け穴は現在はふさがっているが、崖面に抜け穴の痕跡が確認される。
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ゲジ穴 その3
廃城後は地元民の抜け道として活用されていたが、近世、幣原邸への通り抜けが禁止され、新たにぼんばたけ方面へ地元の人が掘削した抜け穴(くらやみやぐら)が残存している(写真)が、
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ゲジ穴 その4
マンション建築により出口側が封鎖。トンネル内はゲジの群れが存在(通称ゲジ穴)。
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江の島を望む
住吉社から江の島側を望む。