新井城(2110更新ver3)

所在地:三浦市小網代
築城年:鎌倉後期
築城者:三浦氏
城主:三浦氏
構造:平山城
遺構:土塁、空堀、切岸、城主墓
現況:公園、東大地震研
歴史:
1247年宝治合戦(北条時頼との抗争)で敗れた三浦氏を継いだ佐原氏が三浦介を継ぎ、三浦半島南部支配の拠点として築かれたのが新井城。記録に残っている大きな戦いは2回。1回目は1494年新井城主三浦介時高とその養子三浦義同(扇谷上杉持朝の子)の戦い、時高の晩年に実子高教が生まれたことによりお家騒動に発展。義同は母の実家である小田原城主大森氏の協力を得て 夜討ちをかけ時高父子を滅ぼした。2回目は1512~13年に渡る北条早雲と三浦義同の戦い。早雲は玉縄城を築いて、武蔵からやってくる上杉修理大夫朝興の援軍を遮断し持久戦となり、1513年兵糧が尽きた義同・義意 父子は城門から打って出て討ち死にを遂げ、三浦一族は滅亡し、三浦半島は北条氏が支配するようになった。  (参考:日本城郭大系、現地説明板)
訪問ガイド:
新井城は京急油壺マリンパークや東大地震研がある油壺の公園敷地になっており、北に小網代湾 南に油壺湾 西に相模湾に囲まれ 東側だけが陸続きになっている東西に長い小網代半島の先端部に位置する天然の地形を生かした堅城となっており、半島入口にある陸橋部分の”引橋”と呼ばれるところはかつては完全に堀切られ大手の引橋がかけられており橋を落とすことで北条勢の侵入を防いだという。半島内にある東大地震研の敷地内には土塁・空堀が確認できる。海岸線周辺地形は関東大地震による隆起などによりかなり変わってしまっていると言われている。