所在地:鎌倉市城廻 |
築城年:1512年 |
築城者:北条早雲 |
城主:北条早雲、氏時、綱成、氏繁、本多正信、水野忠守、松平正綱 |
構造:山城 |
遺構:曲輪、土塁 |
現況:学校、宅地、山林 |
歴史: 1512年に伊勢宗瑞(後の北条早雲)が三浦氏攻略のため築城。三浦氏と同盟を結んでいた扇谷上杉氏からの支援を遮断する役割をもっていた。三浦氏滅亡後は、相模東部の戦略拠点として、北条氏綱の弟 氏時、三男 為昌、養子 綱成が城主となり、その後 氏勝まで玉縄北条氏として小田原宗家を補佐する有力一門が城主となった。秀吉による小田原征伐の際、落城した山中城から逃げ帰った 氏勝は後に徳川氏に下り滅亡した。その後の玉縄城は松平正次が城主となったが玉縄城は廃城となった。 |
訪問ガイド: 現在は住宅地や学校敷地になっており全体像はわかりずらいが 本丸・諏訪壇・七曲り坂・太鼓櫓・煙硝蔵後は残存している。また城に続く切通しの坂道の上部は一部階段状の平場が残存している。事前に地図で場所を確認してから行くことをお勧めする。予習していくと かつての地形のなごりを残していることがわかりやすい。 |
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昭和30年代の玉縄城航空写真
昭和30年代の航空写真からは鎌倉のように尾根により防御された本丸が見て取れる。
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玉縄城遠景
現在の玉縄城遠景。周辺は住宅開発され、本丸および諏訪壇は学校敷地になっている。
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玉縄城縄張り
現在は城周辺の開発が進んでおり全体像がわかりずらいので 各曲輪などの位置関係がわかる縄張り図を作成してみた。
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七曲坂
玉縄城へ向かう七曲り坂。途中に平場、登城口横の尾根には曲輪のような平場が見受けられる。
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えんしょう曲輪群
七曲り坂から見た煙硝曲輪群。この住宅開発されていないエリアは曲輪遺構が残存している。
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七曲り坂虎口
七曲り坂登りきった、太鼓櫓と物見櫓に挟まれた虎口。ちょうど訪問時(2012年)は築城500年祭りをやっていた。
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七曲り坂上の物見櫓
七曲り様を見下ろす物見櫓(推定)跡
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太鼓櫓
物見櫓跡(推定)の向い側に位置する太鼓櫓跡。
土塁跡が確認できる。 -
煙硝蔵跡
太鼓櫓跡から一段下がったところに煙硝蔵跡がある。
この先はさらに曲輪群が続いていると思われるが、侵入禁止であった。 -
大手口
本丸に続く大手口跡。本丸は現在学校敷地になっており、見学は許可が必要。
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大手門前の空堀跡
本丸を取り巻く空堀があったとされる道
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諏訪壇
玉縄城の最後部で本丸を防御する諏訪壇。かつて城の守護神である諏訪神社がまつられていたと伝わる。
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ふわん坂
ふわん坂の両側には平場があり、道を防御できるようになっている。
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おんまや曲輪
おんまや曲輪があったとされるエリア。現在はマンションが建っており見る影もない。
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陣屋坂
陣屋坂の近くにはかつて陣屋がおかれていたとされる。
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玉縄城石碑
陣屋坂横に玉縄城の石碑が鎮座する。
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龍寶寺
龍寶寺には玉縄北条氏の供養塔が祀られている。