長柄館

所在地 葉山町長柄
築城年 平安末期
築城者 長江義景
城主 長江氏
構造 居館
遺構 やぐら、墓
現況 田、社
歴史  葉山町長柄の福厳寺の東隣の谷 殿ヶ谷に長江太郎義景の居館址があった。長江氏は鎌倉氏一族で義景は金倉権五郎景政の孫にあたり、三浦氏の有力な郎党(*)で1180年の衣笠合戦で大田和義久とともに城内中陣を守った。また、1247年三浦泰村らが鎌倉法華堂で滅亡した宝治合戦でも長江次郎左衛門尉義重の名が見られる。(出典:日本城郭体系)
(*)長江義景の妹が三浦義明の長男 杉本義宗(杉本城)に嫁いでいた。そのため三浦氏の家子(主家と血縁関係のある従者)とされ、三浦惣家滅亡の際、一族は三浦氏に殉じた。
訪問ガイド 現在の谷は田んぼになっており、中腹に小さな社があり、その裏のやぐらに3基の長江一族の墓がある。防御施設などの遺構は見られず、近隣の鐙摺城を守備する要員としてこの地に館を構えていたと思われる。
足跡写真 説明
長江氏の館があったとされる殿ヶ谷
田んぼでおおわれた谷の中腹に社が建っている
社の裏手にはやぐらがあり、そこに長江一族の墓が3基ある。